満つ塩に見えて影そふ百の灯

2019年より算命学を学び始めています。技法や運勢の読み方、自分自身への理解等も気になりますが、何より道徳や礼節を考えさせるその思想・根拠に強く興味を持ちました。主に日々の感じたことを自分の中の算命フィルターを通して発信していこうと思います。ブログ名は、「宮嶋の神のめぐみも満つ塩に見えて影そふ百の灯」 乙部可寛(『厳島八景』)より拝借いたしました。「灯」がゆるやかに、そして穏やかに、つりあいが取れていけるよう願いを込めて。

将の器に引きずられ

小さい事業所へ異動となってからの数か月。

仕事の内容が大きく変わりました。

事務処理から日常の生活の支援業務へと。

今までは、多種多様な書類に目を通して、行政機関等へ連絡を取り、会社の堅実な運営の為にプライドをもって業務に取り組んでましたが、そんな熱い想いは誰にも通じなかったようです。

 

小さい事業所での一日は大変退屈なものでした。

余りにも業務量が少なすぎたのです。さらに、業務には生活支援も含まれますから、掃除や洗濯、そして食事の用意などもあります。

 

お盆で食器を下げてくる入居者達に笑顔で「ありがとうございます」と伝えながら、自分の内側ではこう思うわけです。

 

俺は、いったい、何をしているのだろう

 

努力が認められない哀しさ、悔しさ、異動先でも仮に転職をしてもまた一から新人扱いされてしまう、その苛立ち。

 

こんなにクソ暇な事業所に異動させやがって

 

会社や過去の上司に向かって、何度も恨み辛みを心に思ったことでしょう。外側ではどんなに笑っていても、心は負の感情に支配されていました。

 

 

一般的な書籍やサイトなどでの調舒星の説明の一つには、こう、あります。

 

「今に見ていろ」というような怒り・恨みなどの感情を持たせる環境で育つのがいい

 

確かに、異動時には、怒り・恨みの感情を強く持ちました。むしろ、それらしか湧きあがりません。一般的な書籍やサイトから見ると、当時の状況は調舒星にとって陽転すべき良い環境になった、ということになるのでしょうか。

でも、負の感情を持ち続けることは大変難しいものです。ちょっとしたことで、怒り・恨みの想いに頭を支配されてしまいます。さらに、一度支配されると後の祭り、何も手につかなくなってしまうのです。

 

これは、大変やっかいです。なぜなら、負の感情に支配されてしまうと、他に気が回らなくなりますし、深く物事を考えることもできなくなり、話も上の空で、結果、総体的に非生産的となってしまう。

 

私にとって、昔から、感情コントロールは大きな課題でした。

本やネットから調べ、なぜ感情に振り回されるのかその理由と解消できる方法を探してみました。しかし、試しに調べた方法を実践しても解消できることはありません。

 

でも、算命学を学んでいると、ふと思ったことがあります。

従星に身強の星が二つある最身強。他の占技でもエネルギーが強すぎる。つまり、自我エネルギーが強すぎたのではないのだろうか、と。心の風景は、まさに、怒りや辛みである小さな火種が強すぎる一方向なエネルギーにより地獄の業火のようにあたり一面を焼き尽くしていた、そのような様でした。そして、強すぎる炎は自身をも焼いていたのです。

 

 

そのように理解すると、一気に腑に落ちた気がしました。

努力したのに認めてくれない彼らが悪い、という見方から、最初から、異動など大したことではない、会社とは個人の人生を考えない存在であり、そんなものだ、と認識してみました。そうすることで、火種を作らなくしてみたのです。

 

負の感情が心に湧いてこないので、湧いてこないものをエネルギーで後押しすることはできない。

 

実際、これは効果がありました。

 

強すぎるエネルギーに引きずられ、振り回されることなく、そして、心は快晴。心が快晴だと、色々な事に着手できます。そして、そこでエネルギーを使うことが出来る。さらに、疲れないから睡眠時間も多少短くても大丈夫。

 

自分の身の回りの問題などたいしたことではないということ

人生はシンプルであるということ

 

少し唐突かもしれませんが、今はこの二つを意識して生活しています。

 

もし、調舒星を陽転させたいのであれば、怒り・恨みは一時的に発生しても、その後はしっかりと向き合い負の感情を消化するべきだと、考えています。厳しい環境を与えても、そこから腐らずに前を向いて努力する精神力が大事なのでしょう。

 

 

暗闇の中の算命学

精神的にも肉体的にも大きく摩耗していた30代前半、半生を振り返っても思うような人生が歩めていない中で、事務職としてもう一度頑張ろうと考えて現在の職場へ転職し5年半。。。

突然、欠員補充との理由で、入居者10名ほどの小さな事業所へと異動となりました。

職種を変更して。

 

全て、1から学ばねばならない環境であり、過去のスキルも活かすことが出来ず、そして収入も減る。

社会では当然ある人事異動ではありますが、この5年半、会社の為に尽くした自負があったので悔しさはとめどなくあふれ出るばかり。

 

父親の死を境にして、自分の半生を見直し、どれだけ沢山の恩恵を受けていたのか感じずにはいられませんでした。それから、現実的な努力と平行して運勢や運気も意識して生活し、自分なりにその良い流れを引き寄せてきた自信があったのですが、なぜこんな不幸が自分に起こるのか、と思わずにはいられなかったのです。

 

そして、この不幸には何か意味がある、と考えを巡らせ足掻きました。その時は、ただの人事異動という現実的な問題というだけではなく、自分の人生の向き合い方を否定された気持ちだったのです。「お先真っ暗」でした。

 

真っ暗な心持ちから、なぜ自分が不幸であるのかの理由を探しました。

 

そして見つけたのが算命学でした。

 

インターネットの世界は大変便利なものですね。算命学の難しい言葉の意味は、検索すれば簡単に調べることが出来ます。当然、その知識を現在の状況に合わせて使うことは容易に出来るものではありませんが、自分を理解するため、自分の運勢を調べるため、今の自分に何が起こっているのかを知るため、には十分役に立つ情報でした。

 

自分で調べた結果から、二つのことが判明しました。

一つは、内示と異動は月の天中殺の最中での出来事であること。

もう一つは、その天中殺が明けてからの年運に、頭上には調舒星が鈍い光を放って僕を照らしていたということ。

 

それまでは、総務課員として多様な職種の職員や役職者と仕事をし活発的に業務をこなしてきました。頼られることも多かったと思います。

ですが、異動先の小さな事業所では、職員は基本一人体制であり、人の出入りも数えるくらいしかありません。当直があるのでシフト制、よってプライベートでも友人と会う事もやはり少ないまま。

 

そうやって、調舒星が表す「孤独」の中に、身を投じることになっていたのです。

 

天中殺は不自然なものが「明らか」となる時期。

 

今までの生活が不自然であるなら、今は「孤独」の中で生きていくことにしよう。

 

なんとなくではありますが、そのような心持ちを自然と受け入れていました。

 

 

 

 

満ち潮に浮かぶ灯の始まり

2019年より算命学を学び始めています。

技法や運勢の読み方、自分自身への理解等も気になりますが、何より道徳や礼節を考えさせるその思想・根拠に強く興味を持ちました。日干は「丁」であり、胸部は「調舒星」。主に日々の感じたことを自身の算命フィルターを通して発信していこうと思います。

 

ブログ名は、「宮嶋の神のめぐみも満つ塩に見えて影そふ百の灯」 乙部可寛(『厳島八景』)より拝借いたしました。

「灯」がゆるやかに、そして穏やかに、つりあいが取れていけるよう願いを込めて。